しかし、頭足類の脳は私たち人間の脳とは大きく異なり、複雑な神経系が全身に張り巡らされている。その驚くべきしくみの科学的解明は、まだ始まったばかりだ。
例えばイカやタコなどの頭足類は、遺伝情報の伝達やタンパク質の合成といった重要な機能を担うRNA分子を編集する能力が非常に高い。
6月8日付けで学術誌「セル」に発表された論文で、米国南カリフォルニア沿岸に生息するタコが、水温の急激な変化に際して、
脳に関わるRNAを大きく変化させていることが明らかになった。
これらのRNAがつくるタンパク質は温度の変化に非常に敏感で、暑すぎても寒すぎても機能が低下し、ほんの数℃の温度変化で致命的な影響を受けることもある。
環境の温度次第で体温が変わるタコのような変温動物にとって、体温の変化は重大な問題だ。
つまり、RNA編集が環境の変化への順応に一役買っていることを示唆している。
「水の中での暮らしは過酷です。タコがいくら賢くても、温度が大きく変化すると、ものを考えるのは非常に困難になります。彼らの神経系はそれだけ複雑なのです」
と、研究チームを率いた米ウッズホール海洋生物学研究所の神経生物学者ジョシュア・ローゼンタール氏は言う。
■ほとんどなかった分子レベルでの証拠
イカから人間まで、さまざまな動物がRNA編集を行うことが知られている。
RNA編集は、遺伝子からのメッセージを変更し、タンパク質を構成する分子を微妙に変化させる。しかし、これらの変化は永久的なものではない。
ローゼンタール氏らはこれまでの研究で、頭足類がRNA編集を行う能力が異常に高いことを発見している。
ヒトゲノムでは、遺伝情報を伝えるRNAが編集される部位は数百カ所なのに対し、頭足類では万の単位だ。
科学者たちは、こうした広くて一時的なRNA編集が頭足類にどのような恩恵をもたらしているのか調べることにした。
ローゼンタール氏は、最初に考えられる恩恵は「新しい環境条件への順応」だと言う。
環境条件が変化したときにすぐにRNAを編集できれば、神経系などのタンパク質を周囲の温度に応じて最適化できる。
この仮説は以前からあったが、分子レベルでの証拠はほとんどなかった。
研究の対象には、カリフォルニア・ツースポットタコ(Octopus bimaculoides)が選ばれた。
このタコはゲノムの塩基配列の解読が進んでいる上、幅広い温度帯で生息しているからだ
(ローゼンタール氏によると、ほかのタコとは違い、実験室に運び込む際に落ち着いていることも理由の1つだという)。
まず、急激な温度変化によりRNA編集がどこでどの程度起こるのかを直接調べるため、研究者たちはタコを水温13℃の冷たい水槽か22℃の暖かい水槽に
10~12日間入れ、温度を安定させてから、さらに12~24日間温度を維持した。
その後、研究チームがタコの星状神経節(運動をつかさどる神経系の一部)からRNAを抽出し、RNA編集が起こった部位の数を調べた。
結果、6万以上ある既知のRNA編集部位のうち、低温のときにRNAの編集がさかんに行われた箇所が約33%だったのに対し、高温では1%に過ぎなかった。
頭足類のRNA編集能力の高さはよく知られているが、研究者たちはその結果に驚きを隠さない。
ローゼンタール氏も「非常に驚きました」と言う。
「私たちは、温度変化に敏感な部位はごくわずかで、もしかすると1つもないかもしれないと予想していました。ところが、RNA編集部位の約3分の1に、
強い温度感受性が見られたのです」
またこの結果は、直感に反しているように思われるかもしれない。
「一般に、酵素は温度が高いほど活性化します。これは熱力学的に自然なことです」と、ローゼンタール氏は言う。
「けれども今回の実験では、温度が低い方が広範なRNA編集が起きていました」。
おそらく、これに関連する分子構造は低温の方が安定で編集しやすいのだろうと氏は言うが、確認にはさらなる検証が必要だ。
その後、研究チームはRNA編集が行われている速さを調べるため、水温を24℃から14℃に変化させる場合と逆の場合で、時間ごとの変化を調べてみた。
すると、RNA編集のほとんどが温度が変化してからなんと数時間以内に始まり、4日以内には落ち着いていた。
※続きはソースで
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/061200294/?ST=m_news